「ファー・イーストに住む君へ」

----いわゆる,連作エッセイ? って感じでしょうか?   top   
-1- 1996年,川崎医科大学 研究ニュース 留学報告-i
-2- 1996年,川崎医科大学 研究ニュース 留学報告-ii
-3- 1996年9月 川崎医科大学附属病院 病院広報 「海外の医療事情」
-4- 1997年 冬 川崎学園便り「すずかけ」随筆
-5- 1997年 春 川崎医科大学附属病院 病院広報 「一冊の本」
-7- 1997年 夏 川崎医科大学 同窓会報 助教授就任の挨拶に代えて
-8- 1997年 秋 川崎医科大学 父兄会報 助教授就任の挨拶に代えて
-9- 1997年 秋 川崎学園便り「すずかけ」随筆
-10-(含:-6-) 1999年 初春 川崎医科大学衛生学教室 同門会誌


ファ-・イ-ストに住む君へ -1-

Letter from Minneapolis, Minnesota [April, 1992 - June, 1993]

君は空を眺めるのに,何も殊更に首を持ち上げる必要はないんだ.ここは大平原の真ん中で,丘とも呼べないような街の中の高みにいるだけで視線の彼方には空が拡がっているんだから.東の方を向いてご覧.もうそれは漆黒といっていい程の闇だよ.君の住む街だと,例えそれが真夜中過ぎであっても,いたずらに視野に入ればそれが購入意欲につながるとまだ信じているようなけばけばしい広告塔がまたたき,狭いところにたくさんの人々が集まってきて,おまけに皆が自分の空間を持ちたくて仕方無いものだから,4つのシート以外に収まるものもない移動仮部屋の前照灯が引っ切り無しに右往左往していて,こんな闇をもう忘れてしまっているかも知れないけれど.そして,今度は西の空を見てご覧よ.ほら,太陽がさっき沈んでいったばかりの空は言葉では言い表せないほどの美しい色のグラデーション.これまでどんな有名な画家でさえ描き切れなかったとは,有史以来の魂を削って芸術に精魂を込めてきた人々に悪いから云えないけれど(そんな絵が街一番の大きな美術館に一杯あるよ),それでも自然もまた素晴らしい芸術家だって事がヨオク解るだろう.・・・・・この街は,北極白熊の吐き出した冷たい息が塊となって一番南まで降りてくる辺りにあるから(その弓なりの島国では稚内というこれも僕には未知の街くらいの緯度だよ),冬はとっても長くて寒いんだ.いつも南瓜のお化けで街中が一杯になるハロウィンの頃に最初のドカ雪がやってきて,確かに君の島国の大陸に向かっている側の(裏と付けるのはちょっと哀しい響きがあるから厭だね)豪雪地帯より積雪量は少ないんだけど,寒さが半端じゃないから一旦積った雪は溶けようがなくって,半年以上街は真っ白.こっちでは比較的少ない白い自動車は冬に背景に溶け込み易いから保険料が高いんだって話も聞いたくらいなんだよ.その替りでもないけれど,春の芽吹きの迫力の凄いこと.緑も勿論街の中に一杯あるから,それはまるで爆発のように若葉が生い繁るんだよ.そして夏もいいよ.僕が居た時は冷夏だったこともあって,双子都市と呼ばれている Minneapolis と St. Paul は清々しい空気で充満していたんだ.ここはミュージアムも一杯あって,Walker Art Center っていう素敵な現代美術館は特にいいんだよ.秋もちゃんと色づくし,でも短いのは仕方無いけど.特に僕の場合,ユックンが9月に生まれた(2日しか入院しないんだよ)こともあって気づいたら冬だったけどネ.・・・・・所謂文化の違いは短い言葉じゃ言い表せない.村上春樹が「やがて哀しき外国語」(講談社)に僕の感じたこと全てを書いてくれているから読んでみてくれないか.住んでみて解ることが数限りなくあるんだ.・・・・・最後に僕はこっちではヒトの肝癌由来の細胞株に鉄を負荷して核内の鉄を計ったり,DNA の切れ具合を特に c-myc や p53 で観察してたんだけど,ちょっとプロジェクトが大きくってまとめきれなかったみたい.でも,一緒にやってたアイルランドから来たヘレンがつい最近論文の初稿を送ってくれたりしたから,もうすぐ形になるかも知れない.そうなれば嬉しいね.もうすぐ,僕は Maryland へ移るんだ.さらば,美しき北の街って心境だよね.結婚して4カ月めから Minneapolis だったから,なんだか長い新婚旅行みたいだったよ.またね.